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CORPUS LINGUSITICS RESEARCH

pISSN: 2586-0550

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七支刀銘文再考 ×
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東硏(JCSEA) Vol.1 No. pp.1-14
七支刀銘文再考
木村誠
首都大學東京名譽敎授
Key Words : 七支刀銘文、冬至月、満月、吉祥句、陽気再生

Abstract

嘗て私は七支刀銘文を検討し、七支刀は道教・道家思想に傾倒する百済の 太子奇が369年に倭王旨の為に儀器として作ったものであるとした(「百 済史料としての七支刀銘文」2000年)。現在でもこの理解に変更はないが、 本稿では、七支刀に関するその後の議論を参照して、銘文について改めて考 えたことを以下の通り述べた。 第一に、(表)22字目と(裏)8字目の釈文をそれぞれ「帯」と「刃」に改め た。 第二に、作刀日「十一月十六日」の意味するところについて、冬至日の可 能性を示唆した前説を撤回したうえで、「十六日」が満月の日にあたること を指摘した。漢代の尚方で月食の時に刀剣を作ったことが後世まで伝えられ ており、刀剣と月との関連が意識されていたことがうかがえる。七支刀の作 刀日が月食であったことは確認できないが、月食も満月の時に起きる現象で あるから、満月の作刀に何らかの意味があると推測することは許されるであ ろう。七支刀を「十一月十六日」すなわち仲冬・冬至月の満月の日に作るこ とで、陽気再生を象徴したものと理解した。 第三に、(表)の吉祥句「宜供供矦王」について、「供供」を「恭恭」の仮 借とする佐伯有清説を批判する議論に疑問を呈し、佐伯説を改めて支持し た。「供供(恭恭)」は「うやうやしく慎み深い」と解釈できる。太子奇は倭 王に対する牽制の意を込めて、当時広く用いられていた吉祥句「宜矦王」に 「供供」の二字を加えたのであろう。太子奇の胸中には倭王に対する期待と 同時に深い警戒の念があったのではないかと推測した。
LIST
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