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pISSN: 2586-0550

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鳩山民主党政権崩壊と東アジア 共同体構想 - 新しいアジア外交と安保⋅基地政策を中心に - ×
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東硏(JCSEA) Vol.6 No. pp.61-91
鳩山民主党政権崩壊と東アジア 共同体構想 - 新しいアジア外交と安保⋅基地政策を中心に -
木村 朗
鹿児島大学教授、平和学専攻.
Key Words : 鳩山由紀夫、民主党政権、普天間基地、東アジア共同体構想、沖縄

Abstract

2009年夏の政権交代で登場した鳩山民主党政権は、対米自立と脱官僚政 治を2本柱とし、普天間基地 「移設」問題ではそれまでの辺野古V字型案を白 紙に戻して 「国外移転、最低でも県外移転」を掲げて沖縄の民意にそった解決 を模索した。そして、米国の強い反発と国内の反対勢力の抵抗を受けてその 主張⋅方針の内容を次第に後退させ、結局、「国外移転、最低でも県外移転」 が実現できずに辺野古V字案に回帰して鳩山政権は崩壊することになった。し かし、実はこの鳩山政権崩壊の背後には、普天間飛行場移設問題以上に重 大な問題が隠されていた。それは、鳩山政権が発足当初から重要な外交課題 の一つとして掲げていた東アジア共同体構想である。この東アジア共同体構想 のもともとの起源は、1990年にマレーシアのマハティール首相が提唱した 「東 アジア経済協議体(EAEC)」、1997年のアジア通貨危機の際に当時の橋本首相 が提唱した 「アジア通貨基金(AMF)構想」である。しかし、これまでの東アジア 経済協議体(EAEC)やアジア通貨基金(AMF)構想の動きは、米国の強い反対 や中国の消極的な姿勢などでほとんど具体的な進展がみられることは無かっ た。こうした流れを大きく変えることになったのが2009年夏の総選挙で本格的 な政権交代をはたした民主党を中心とする鳩山政権の登場と鳩山首相による 東アジア共同体構想であった。鳩山首相は、政権交代後に出された論文のな かで東アジア地域での通貨統合と恒久的な安全保障の枠組みを作るという具 体的な 「東アジア共同体構想」を提起したのである。特に沖縄を現在のアジア 太平洋地域の軍事の要から平和の要への転換し、将来の東アジア共同体議会 の議会設置を含めた拠点とする展望も示していたことが注目される。この東ア ジア共同体構想は夢想的というよりもきわめて現実的な可能性を秘めた、日本と東アジアの未来の責任あるビジョンを提示するものであった。それだけに それを恐れた米国と日本国内の既得権益層によるなりふり構わぬ抵抗⋅反撃 を招き、最終的に頓挫させられる結果に終わった。鳩山政権当時、日本国内 では専ら、米国が普天間問題をめぐって日本政府に憤慨しているという報道 がなされたが、米国が本当に恐れたのは、日中韓3カ国が連携⋅協力する東ア ジア共同体構想であった。鳩山首相が米国に事前に相談⋅報告することもな しに国連総会でそれを提起したことを、米国自身は”米国外し(米国への背 信)”と受けとったという隠された政治的背景があったのである。
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